1986 「早慶レガッタ対校エイトで『同着レース』」 4月13日、早慶レガッタ対校エイトはスタートから両艇抜きつ抜かれつの大接戦となり、ゴールの審判の判定は「同着」。72回を数える早慶レガッタの中で唯一の「同着」レースとなった。 |
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1988 「ソウル五輪エイトCOXには、石川が出場」 石川順康(平成元年卒)がモントリオール五輪以来の日本代表としてエイト舵手として出場。 |
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1988・1989 「全日本軽量級エイト2年連続優勝」 「漕手の平均体重70kg以下」を前提に競われる全日本軽量級選手権で、早大エイトは持ち味を生かし2年連続優勝。 |
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1992 「バルセロナ五輪エイトには、岩畔、山児が出場13位」 岩畔道徳(平成元年卒)、山児和久(平成5年卒)がソウル五輪の石川に続きエイト日本代表として出場、13位の結果を残す |
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1992 「早大エイト、全日本選手権決勝で驚異的レース(準優勝)」 バルセロナ五輪出場の主将・山児和久(平成5年卒)を擁するものの、クルーの8人中5人は大学からボートを始めた“雑草集団”だった。高校からのボートエリート揃いの日大、中大や、社会人王者のNTT東京を相手とする決勝レース、500m6位(最下位)で通過したが、そこから驚異的な「怒涛のごぼう抜き」を演じた。ゴールでは王者・NTT東京に僅差で、学生中最高の2位。タイムは5分51秒65で、当時学生の出したエイトのタイムとしては突出したもので、“早稲田魂”を見せつけた。主将の山児は卒業後、社会人チームの東レ滋賀を率い93年、94年と全日本選手権を連覇。 |
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1994 「女子に“渋田時代”到来」 渋田紀子(平成7年卒)は全日本女子選手権ダブルスカルで2年連続優勝、全日本選手権女子シングルスカルで2年連続優勝。圧倒的な強さで一時代を築く。卒業後も社会人(昭和シェル石油)で競技を続けアトランタ五輪に出場。 |
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1994 「早大エイト、海外レースで初優勝」 海外遠征としてオーストラリア・メルボルンで開かれた「メルボルンヘンレーレガッタ」に出場。 |
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1996 「アトランタ五輪に早大より現役・OB・OGの3名出場」 岩畔道徳(平成元年卒)、渋田紀子(平成7年卒)、吉田理子(平成11年卒・当時2年生)が出場。 |
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1996 「早大エイト、悲願の大学日本一」 8月25日の大学選手権エイト決勝で、早大エイトは、この年社会人を含め国内無敗を誇る中央大学エイトにスタートからリードを奪い、ゴールでは約3秒差をつけ悲願の優勝。その他、男子舵なしフォア、男子舵つきペア、女子ダブルスカルも優勝し、大学選手権男女総合優勝。 |
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1997 「大学選手権・男女総合2連覇」 男子舵なしフォア、女子ダブルスカル、女子シングルスカルの3種目で優勝し、昨年に続く男女総合優勝。しかし連覇の期待されたエイトは5位に終わる。 |
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