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コラム・早稲田ローイング

■Vol.10 「ハーバードからの手紙」

ボート漕ぐ者に「文武両道」はどこまで可能か。
彼らには眩しいほどの戦績がある。世界選手権金メダリスト、銀メダリスト。現役の米国代表メンバー。FISAワールドカップ銀メダリスト。全米学生選手権優勝者。
しかも彼らは世界最高レベルのボート選手にして、最高学府の学究の徒。

2004年10月31日。ワセダクラブの主催による「第1回ワセダレガッタ」。彼らはこの記念すべき第1回大会のゲスト「ハーバード&プリンストン・オールスターズ」。
ハーバード大、プリンストン大、両大学若手OBの選抜チームである。
但しOBとはいえ、彼等はみな現役選手だ。学業を続けていたり、仕事を持っていたり、アルバイトしていたりと様々だが、第一線の競技選手を続行中である。

彼らのこの大会への意気込みは本物だった。
日本のエイトのトップクルー、明治安田生命、そしてNTT東日本東京がエントリーしているのはもちろん、知っている。
「日本のチャンピオンクルーをぶっ倒してやる。勝つために来たんだ。」
大会4日前、10月27日に来日したその夜、ストロークのジョン・ワクター(現役の米国代表)は息まいていた。実際そのあと31日の大会まで、メンバーは最低でも1日2回の練習を精力的に繰り返していた。

いざ本番のレース、決勝に難なく進むところまでは予想通りだったが、0.21秒差でNTT東日本東京に敗れ、準優勝。世界チャンプ、全米チャンプ経験者が並んでいるのだから、もっと速いはずでは。そんな見方もないではない。しかし4日間という時間は、選抜チーム8人の呼吸を完全に合わせるには、やや足りなかったようだ。
オリンピック2回出場・世界の舞台を熟知する早稲田ボート部・岩畔前監督は言った。
「奴らはやっぱり凄いぜ。あと1週間練習してればとんでもなく速くなって、日本のクルーはどこも歯が立たなかっただろうな」

実は彼らメンバーの年齢層は幅広い。
最年長はキャプテンのジェームス・ベイカー、35歳。最年少は現役の米国代表であるジョン・ワクター、22歳。メンバーは滞在中、早稲田ボート部の合宿所で、その長身を折り曲げ座り、早稲田の現役選手と一緒に食事をとった。ひと目でわかる年齢の差がありながら、彼らは気さくさをまったく失わず、しかも陽気で、気遣いや思いやりを随所に感じさせた。そこにはやはり「一流の人びと」の片鱗を、確実にみることができた。

彼らが滞在中、最も意気投合した人物。
それは誰かといえば(本コラムvol.7でも紹介した)「オジさん」こと早稲田ボート部合宿所の管理人・金刺正巳さんである。

金刺さんは英語の達人ではない。しかし33年間の学生相手の食堂経営で、留学生のハートもしっかり掴んできた経験と、自信がある。
「『もてなす心』っていうのは、万国共通なんだよネ」
オジさんの信念は揺るがない。笑顔と身振り手振り、カタコト英語で突進する。
そして何よりも、次々と出される山盛りのおいしい食事。メンバーはあっという間に「オジさん」の虜になり「オジさん!」「オジさん!」日本語で呼びかけ始める。
練習後、水辺から合宿所に向かって「オジさーん!」と叫ぶ声が聞こえることもあった。

金刺さんが驚いたのは当初、パンなど洋食中心のメニューを準備したのに、メンバーはもっぱら「もっと日本の食事を」と熱望したこと。ご飯に納豆、味噌汁、煮物、漬物などをがつがつと平らげた。「こればかりはまったく予想が外れたよ。」オジさんは苦笑した。

「オジさん、僕ら明日これを着て漕ぐことにしたよ」
レース前日。メンバーが全員、揃いのTシャツを着て金刺さんの前に並んでみせた。
そして、Tシャツの胸のプリントを得意げに指さす。そこには、
「POWERED BY おじさん」
金刺さんは仰天する。メンバーは金刺さんのファンになるあまり、本番で着るユニフォームに、そう刷り込んでしまったのである。そして、
「オジさんの分もあるんだ。着てくれよ」
Tシャツを着せられた金刺さんは、合宿所の前庭で、彼らに軽々と担ぎ上げられた。

「それにしても、あのTシャツは一体いつ、どうやって準備したんだろうネ」
大会後しばらく経って、金刺さんの謎は解ける。ちゃんと目撃者がいた。早稲田ボート部OG、渡邊いくみ(平14年卒)。メンバーが揃って戸田のボートショップを訪ね、長身をかがめて身振り手振り、それは必死の注文だったと。
「そういえば何だか『お・じ・さ・ん』って、そこだけは日本語で」

レース後、集まってきた子どもたちと気さくに写真を撮り合う彼らの姿があった。
彼らを見たすべての人は、同じ印象を受けただろう。
「最高学府の学究の徒」に連想される気難しさは皆無。とにかく陽気。ボートを、人生を、心の底から楽しんでいる感じがする。でも、明るさの中のふとした表情にも明らかに、一朝一夕ではまとえぬ知性と気品が漂う。

「カルチャーショックでした」

メンバーと1週間共に過ごし、レース後も戸田の寿司屋に、夜の六本木にと「勝負」を挑んできた早稲田ボート部の選手たちは言う。彼らの普段は、底抜けに愉快。
「でもオールを握った瞬間、スイッチが切り替わる」
ボートを漕いでいるときは、それこそ「狂気」「殺気」という言葉がぴったりなほど激しく、全身全霊をオールに叩きつける。ところが、ひとたび練習が終わり、艇が岸に着くや
「オジさーん!」もう誰かが素っ頓狂な叫び声をあげている。
究極のONとOFF。これが“究極の文武両道”を成し遂げるエッセンスだろうか。

彼らはレースの翌日、早稲田の合宿所を去るとき、オジさんに1枚の手紙を託した。
「To everyone in the Waseda Rowing Club」
あえて原文のまま、ここに掲載する。

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レース後1週間、11月8日。
「ワセダレガッタ開催」の記事が「FISA WORLD ROWING.com」(世界ボート連盟ホームページ)のトップを飾る。世界中のボート愛好家が絶えずチェックするサイトだが、日本ボート界の出来事が掲載されることは極めて稀である。来日メンバーの一人、クリス・カーバー(世界選手権金メダル、FISAワールドカップ銀メダル、米国代表8回)が寄稿してくれたのである。クリスのお陰でワセダレガッタは、世界中のボート愛好家の関心事となった。

来年2005年は「第1回早慶レガッタ」の開催から、ちょうど100年目となる。
第1回ワセダレガッタの日「2004年10月31日」が、いつしか、第1回早慶レガッタの日(1905年5月8日)に匹敵する重みをもつ日となる、それも夢ではない。

望月 博文(もちづき ひろふみ)
1970年、大分県別府市生まれ。別府青山高校−早稲田大学卒。
大学ではボート部に所属、コックスを務める。卒業後は都内のメーカーに勤務、一貫して人事関連業務に従事するかたわら、2001年までは早稲田大学ボート部のコーチも務めた。

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