WEB会員募集中



boat

ニュース・コラム

コラム・早稲田ローイング

■Vol.13 「部員たちは戦場へ」

平成17年2月11日。冬の東京・杉並区和泉。
寒さに着ぶくれした筆者、漆黒の邸宅の玄関ブザーを押す。訪ねた人は早稲田ボート部OB(昭和23年卒)、深澤潜(ひそむ)。

この人はボートを、そして早慶レガッタを生きてきた。
しかもその父上は明治38年、早大体育部長・安部磯雄教授を口説き落とし「第1回早慶レガッタ」を実現させた部員・深澤政介(本コラムvol.11で登場)である。

父・政介は早慶レガッタをこの世に誕生させるために、火の情熱を燃やした。
そして息子・潜は戦争で中断した早慶レガッタ復活の中心人物として奔走した。
数奇な運命の絆。いくら親子とはいえ「何かが」1年ずれれば、こうはならなかった。
深澤は語りはじめる。彼の話は、当事者のみが持ち得る迫力に満ちている。


当時の部員たち(左端が深澤潜)


当時の隅田川

1943(昭和18)年。戦色は日に日に濃くなってゆく。
来るべき学徒出陣のため、早大体育各部はすべて休部状態に入る。ボート部員も20歳以上となれば好むと好まざるとに関わらず、戦地へ送られる運命にあった。

残り少ない時間をどう過ごすか。
女の子と新宿・銀座・浅草と歩き回ってもみた。でも満たされぬ。
最後の結論は「時の許す限りボートを漕ぐ」だった。
征けばまず命はないだろう。ましてや、またボートが漕げるとは想像できない。
どうせ死ぬなら、ちょっとくらい叱られることをしてもいいだろう。
仲間とこっそり、細い日本橋川を漕ぎ上る。そして「よし行けッ」銀座のど真ん中、数寄屋橋の真下でハイピッチ漕の披露に及ぶ。橋の上、驚き見入る通行人が鈴なりに。これは愉快痛快、大笑いで逃げ帰る。次は神田川から御茶ノ水駅を見上げてみるか。
とにかく、縦横無尽に漕ぎまくった。

その矢先、野球部が「早慶壮行野球試合」を戸塚球場で行うとの知らせが入る。
「海ゆかば」が球場に響いたと語り伝わる「最後の早慶戦」である。
野球部がやるなら、俺らも何かやってやろう。
早稲田ボート部員が考えついたのは、競漕ボートによる「東京湾横断」だった。

昭和18年10月16日、早慶壮行野球試合と同じ日の午前5時。艇の両舷に塀のような波よけを取り付けた。隅田川畔の艇庫を出発。風ひとつない静けさ。絶好の“遠漕”日和である。勝どき橋をくぐり、恐る恐る海へと漕ぎ出す。意外に静かだ。貨物船が聳え立つ谷間を進む。波長の長い波に揺られるが大丈夫。穏やかな海風が頬に心地よい。海に漕ぎ出すなんて本来無謀でしかないのに、いつの間にか鼻唄まじりになっている。大森海岸、羽田沖とすいすい進み、無事横浜港ヨットハーバーへ着岸。前代未聞の挑戦は幸運も手伝い、うまい具合に終えた。
俺たちだけの挑戦。野球と違って世間では誰も知るはずもないが…。

その日の夕刊を開く。部員たちは大見出しに目を白黒する。これは一体・…。
「決戦の海に続く水/先ず東京湾を征服/早大漕艇部出陣学徒の壮挙」
「隅田川の流れはソロモンへ、北はアリューシャンの戦場に続く」

しかも早慶壮行野球試合の2段抜きよりも上段で、こちらは3段抜きだ。
朝日新聞記者、早稲田ボート部OBの松尾博志(昭15年卒)の大いなる悪戯だった。

1944(昭和19)年が明けた。今年は深澤も入隊だ。
4月になった。通常であれば早慶レガッタの季節だ。慶應の選手と会って話をするうちに、こんな話になる。
「戦争ゆえ昨年の第15回で公式の早慶レガッタは途切れることになる。しかし、部員がいる限りは、非公式だろうが何だろうが伝統を引き継ぐべきだ。審判・コーチ・そして観衆がいなくとも俺たち、選手さえいればレースはできる。たとえ、それを誰が知らなくとも、それが歴史に残らずとも、自分達だけ知っていればいいじゃないか」

やってやろう。早慶の部員たち、抑え込んでいた何かに火がついた。
ところが両校とも残る部員はごくわずか、エイトは組めない。ならばフォアでいこう。

 

早稲田

慶応義塾

コックス

深澤 潜

大沢康雄

ストローク

北原 保

宮 泰 

3

鶴岡 豊

南波 登

2

堤 庄三

内海卓二

バウ

高井邦良

西沢 豊

自分たちだけの“幻の第16回早慶レガッタ”。
天気は曇天。全員、ユニホームに凛々しくハチマキを結んだ。スタートは吾妻橋。審判艇も何も一切なしのスタートだ。
いつもの早慶レガッタならば、両岸も橋の上も、歓声と人の波に包まれる。だが今日は、川面には早慶ふたりのコックスの声のみが響き渡る。ふと見やれば、両岸も橋の上も、気に留める人は皆無にみえる。
かまうものか。コックスの深澤はまた前を見据え、声出す腹に力を込めた。

ゴールと申し合わせた地点には早稲田が先にたどり着く。
深澤が艇を止めようとしたら、力漕で苦しいはずの漕ぎ手たちが叫ぶ。
「コックス止めるなッ、もっと、もっと漕がせてくれッ」
涙声だった。漕ぎ手たちは漕ぎながら泣いていたのだ。

とうとう白鬚橋まで漕いで早慶両艇、やっと止まった。もう勝ちも負けもない。早慶ともにヤッタ、ヤッタゾと互いに健闘を称えあい、そしてふり絞るように歌った。両校の校歌・応援歌。涙で声は嗄れ、歌とも叫びともつかぬ。
部員たちは、こうしてボートにひとときの(あるいは永遠の)別れを告げたのである。

ついに深澤の入隊日が決まる。
自分は征く。人間とは不思議だ。「自分はもう死ぬんだ」この上ない虚無感に打ちのめされたのが、この場に至ると何故か淡々とした、澄んだ気持ちになっている。
深澤は、万歳の声が随所で響く東京駅のホームに立っていた。学生服で、足にはゲートルを巻き、頭には角帽。たくさん寄せ書きをもらった日の丸を肩から掛けた。

さらばわが友、わがボート。そしてわが青春。

(敬称略)


最近のレース風景


Photo by S.Mizushima

■今年の早慶レガッタ(100周年記念大会)は4月17日(日)隅田川で開催されます。
→早慶レガッタ公式ホームページはこちらへ

望月 博文(もちづき ひろふみ)
1970年、大分県別府市生まれ。別府青山高校−早稲田大学卒。
大学ではボート部に所属、コックスを務める。卒業後は都内のメーカーに勤務、一貫して人事関連業務に従事するかたわら、2001年までは早稲田大学ボート部のコーチも務めた。

→最新版はこちらへ

※コラム・早稲田ローイングについてご意見・ご感想はこちらへどうぞ

お問い合わせ先 boatcolumn@wasedaclub.com