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ニュース・コラム

コラム・早稲田ローイング

■Vol.14 「100年のつなぎ目」

「親父たちが始めた第1回。そして息子の俺が戦争で中断した後のつなぎ役になった。
不思議な縁っていうかな。それが今までの人生でいちばん印象的だね」

大正13年生まれのその手で淹れた珈琲の香り漂う、自宅の一室。
早稲田ボート部OB・深澤潜(昭和23年卒)の口調は、いっそう熱を帯びてくる。

1945(昭和20)年8月15日。
深澤は特攻隊「暁部隊」の隊員として訓練中。重大放送らしい。耳つけて聞いたラジオの声、最初「もっと頑張れ」の意味かと思った。
そうではなかった。告げていたのは万事の終焉。日本の敗戦だった。

深澤は特攻出撃から間一髪、這い出した。
「死んだはずが、生きている」
一歩一歩、生の実感を噛みしめながら、その足は隅田川畔・向島の早稲田ボート部艇庫へと向かっていた。聞けば半年前、3月10日の大空襲、焼夷弾の雨は一夜にして10万人を焼いたという。艇庫は、艇は、オールは。灰燼に帰したのか。
電車を「向島3丁目」で降りる。焦土に並ぶバラックの間を歩く。思ったより活気がある。角の八百屋、オヤジが「おう無事だったか。艇庫も無事だよ」

あった。「早稲田大学漕艇部」の表札が。そのままだ。何もかも。
早稲田の艇庫は、大空襲を奇跡的にくぐりぬけたのだ。歴史を語る艇・オールがきちんと並んでいる。深澤は、なつかしい艇たちを撫で、オールのグリップを握りしめた。
夢みたいだ。またボートが漕げる。人生すら終わったと思っていたのに。
あとは部員だ。練習だ。早稲田ローイングの復活。必ずやってやる。自分ひとりの明日の米粒すらない、そんな中でも深澤の復活への情熱は湧き上がっていた。

ところがである。やっと部員が集まり、これからという昭和21年2月18日。
早稲田艇庫は隣の工場の火事で全焼する。深澤が駆けつけたときには、すべて燃え尽くし、焼け残ったリガーが転がっていた。
ボートが漕げると喜んだのも束の間。深澤は、くすぶる煙の中で呆然と立ちつくした。

「家計のためにバイトを」部員も散り散りになりかけた。そのとき、千葉医大(現千葉大)から焼け残ったエイトを譲るとの話がある。飛び上がらんばかりに喜んだ。その艇は名無しであったので「権兵衛」と名付けた。割れ目だらけで、乗るたびに船底から水が漏れてくる。それでも大事な唯一の艇だった。


唯一の艇「権兵衛」で練習


復活メンバー 前列中央が深澤

次は合宿所だ。OBが艇庫の焼け跡にバラックの合宿所を建ててくれた。
6畳2間だけ。押入れもない。ガラスが入手できなかったので窓はベニヤ板。なので窓を閉めると昼でも真っ暗だった。でも待望の自分たちの城。嬉しかった。

もっと大きな問題は食糧だった。ヤミ米は高価で手が出せない。そこに千葉県に疎開中のOBから「サツマイモなら持てるだけやるぞ」との連絡が飛び込む。さっそく早朝から出かける。帰りは1人60〜70キロのイモをかつぎ、超満員のヤミ列車に乗り継いで両国駅にたどり着く。大男たちがそろって歩くその姿は、イモの入った包みを荒縄で縛ってかつぎ、頭には角帽。その異様な風体に、道行く人は避けて通るありさまだった。


バラック合宿所前で


イモ運び隊

このサツマイモが毎日の主食となる。米にイモを混ぜて炊く。いや、イモに米を混ぜていたという方が正しいかもしれない。味噌汁にもイモを入れ、おかずは佃煮に梅干。
深澤は部の切り盛りの大変さから、マネージャーに転じ日夜奔走した。

いよいよ「復活の第16回」4年ぶりの早慶レガッタが現実に近づいてきた。
最後に意外な難問があった。審判艇用のモーターボートがどこにもないのである。
目についたのが、隅田川を女性連れで疾走する進駐軍下士官のモーターボート。
体当たりで交渉する。答えは「彼女を乗せたままならOK」。

1947(昭和22)年5月11日。「幻の」ではない公式の「第16回早慶レガッタ」。
ついにその日が来た。ないない尽くしの中から、とうとうここまで来たのだ。

その日も雨だった。
「落ち着いて行け。慶應の早いピッチに掻き回されるな。充分練習を積んだローピッチで行けば必ず勝てるぞ」深澤は若い早稲田クルーを激しく励まして、慶應マネージャー西沢と審判艇へ乗った。西沢とはどういう縁か、戦場でも同じ「暁部隊」の戦友で、生年月日まで全く同じだった。

ゴールした。結果は早稲田の完敗。だが、深澤にはレースの勝敗など本当は問題ではなかったのかもしれない。ずぶ濡れの審判艇の上で、雨のためか涙のためか、視界のほとんどきかぬ目で深澤と西沢は固く両手を握り合った。その瞬間、二人とも大粒の涙が溢れ出し、気がつくと抱き合って大声で号泣していた。

とうとうやったぜ。
思えば昭和19年春の出征前、わずかな部員で決行した「幻の第16回早慶レガッタ」。
そして、これしか道はないのだと自分に言い聞かせ、別れ別れに戦場へ行った。

これで最後。そうとしか考えられなかったあの日、泣きながら漕いだ。
しかし今日の涙の味は違う。西沢の眼もそう語っていた。
とうとう戦場から帰ってこなかった仲間たち。艇庫も艇もオールも部費も部員もない状態から立ちあがって、ここまで来たのだ。先輩たちの残してくれた伝統を、ここに引き継ぐことができたのだ。

遠く墨堤から「都の西北」と「見よ風に鳴る我が旗を」の歌声が、雨を通して響き渡るのに気付いたのは、それからしばらくしてからだった。

(敬称略)


「復活の第16回」のスタート


現在の深澤潜氏

■今年の早慶レガッタ(100周年記念大会)は4月17日(日)隅田川で開催されます。
→早慶レガッタ公式ホームページはこちらへ

望月 博文(もちづき ひろふみ)
1970年、大分県別府市生まれ。別府青山高校−早稲田大学卒。
大学ではボート部に所属、コックスを務める。卒業後は都内のメーカーに勤務、一貫して人事関連業務に従事するかたわら、2001年までは早稲田大学ボート部のコーチも務めた。

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