■Vol.02
<ラグビーと私>
私がラグビーを始めるきっかけになったのは、中学1年生の9月。第一回強化選手を募集しているとの知らせを先輩から聞いたときでした。ラグビーボールは触ったことがあってもプレーをしたことのなかった私でしたが、体力測定でセレクションを行い、一週間後くらいに結果が届きました。結果は翌月から月1の練習に参加してもらうとの合格通知でした。そして私はその通知を持ってラグビー部の顧問の先生のところに向かい、「ラグビー部に入れてください!」と頼みました。しかしラグビー部は基本的に女子の入部は認められておらず、そのときには練習に出るくらいならいいよと言われただけでした。それでも中学2年生の入部登録の時に、私はだめもとで用紙に「ラグビー部」と書いて提出し、それが受理され、正式に部員として認められたのです。また10月に発足したワセダクラブラグビースクールにも女子が一人でもよいなら、ということで参加が決まり、私のラグビーに対する期待は膨らんでいきました。 |
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中学2年生になり、5月に開催されたオール青山ラグビー祭で初めて"ラグビー部の一員"として試合に出ることになりました。後半からスタンドオフとして出場しました。vs40歳以上のOB戦で右膝前十字靭帯断裂という怪我を負ってしまい、8月に手術を受けました。復帰まで少なくとも8ヶ月がかかります。それでも私はすばらしいドクターやリハビリの先生、トレーナーに診ていただき、順調に復帰に近づいていました。そしてラグビーを始めて9ヶ月目の3年生5月。復帰まであと一週間程という日に私は中等部ラグビー部の練習でタッチフットをやっていました。リハビリ中の右膝をかばうような変な体勢で相手の子と接触してしまい、左膝前十字靭帯を切ってしまいました。左膝がどうしても内側に入ってしまう走り方をしていたため、それを矯正する練習も行っていました。それもあり断裂を聞いたときには本当にショックでした。また、手術をすぐにやってくださいとお願いしたので学校を休んでしまうことになりました。高等部推薦に大きく関わる中学3年の1学期末試験を手術の3週間後に控えており、授業も受けられずに試験勉強、そして午前と午後のリハビリ。そんな毎日を過ごしているときに友達が御見舞いに来て盛り上げてくれ、励ましてくれました。また、ノートをコピーしてくれたり、毎日のように病院に通って勉強を教えてくれたりしました。もちろん家族の支えが大きいけれど、そんな友達の支えがなければきっと私は一年半のリハビリ生活に挫折していたと思います。とても嬉しいことに、最近の診察で二ヵ月後の試合復帰と診断されました。あと二ヶ月リハビリとグランドトレーニングを頑張って、最高の思い出になる復帰の日を迎えたいと思います。
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