ラグビーに興味があるけどあまり良く知らない、あるいはラグビーを全く知らない人に向けて、これだけは知っておきたいラグビー情報をシリーズでお届けします。
日本国内で、初めてフットボールに関する記事を取り上げたのは、一八六六年一月二十六日付けの横浜の日刊英字新聞ジャパン・タイムズ・ディリー・アドヴァタイザーである。旧暦にすると慶応元年十二月のことである。日本のラグビーのルーツ校といわれる慶応義塾にラグビーが導入される三十三年も前のことだ。横浜には、在留欧米人による長いスポーツクラブの歴史があり、それは今も横浜根岸台のYC&ACに引き継がれている。
この連載では、以来現在に至る百三十七年余りの間に書きつづけられたラグビー記事を集めた私のスクラップブックの中から、その時々の話題を拾いながら最終的に日本ラグビー史を綴ろうというものである。
■Vol.02 背番号第一号は早慶戦 NUMBERING OF JERSEYS
日本の試合で最初にジャージーに番号を付けたのは、早慶戦が最初だった。1924年6月に関東ラグビー蹴球協会が設立され、慶大、早大、明大、東大、立大、法大、一高、浦和高が加盟した。会長は、田中銀之助、副会長は、田辺久萬三。規約により、加盟校同士の試合は協会の主催あるいは監督で行われることになり、入場料を取る場合は必ず協会の主催で行い、収入は協会と対戦校の3分配されることとなった。
この年三田綱町で行われた第3回早慶戦は、入場制限のため日本の試合初の入場券が1枚30銭で販売されるとともに、国内最初の背番号が採用された。
入場料徴収は、第2回の早慶戦でも検討されたが、慶応OBの間で反対論が強く見送りとなっていた。急先鋒は、慶応初代主将松岡正男。当時京城日報の社長として現在のソウルにいたが、電報で頻繁に反対意見を伝えた。この時関西にいた田辺が、高熱をおして夜行列車で上京、反対する現役の選手達を「先輩の多い慶応としては入場料をとらなくても試合が出来るが、他の新しいチームは財政的に困るだろう。使途の正しい入場料なら問題ないではないか」と説得、初の有料試合を実現させた。
試合当日、グラウンドには5000人のファンが詰めかけ満員となった。関東協会50年史に試合の収支計算書が載っている。入場券3585枚が販売され、収入は、1075円50銭。経費を差し引き811円95銭を早大、慶応、協会で三分すべきものとなっている。
もう一つのHistorical First、背番号がはっきりと分かる写真を探したが、見当たらない。ようやく、試合翌日の読売新聞の紙面に密集の写真をみつけた。両チームのプレーヤーの背中に四角い白い布があるのが辛うじて確認できるが、番号まではよく分からない。東京朝日新聞には、後半17分慶応宮地秀雄のトライの写真にわずかに背番号らしきものが写っている。
1927年の第6回早慶定期戦を前に日本青年館で、閑東ラグビー蹴球協会主催の懇親会が開かれ、出場選手名が発表された。翌日の新聞に載ったメンバー表には、「番号は試合当日ユニフォームの背に付けられるもの」という注がある。しかし実際のメンバーを見ると、早大は番号通りに1番から15番までが出場しているが、慶大は同一ポジションに複数の選手をおいたようである。翌年になると慶大は、前3人に14から16番を付けさせ、TB 4人が2から5番と不規則なナンバリングをしている。第6回早慶戦は、神宮競技場が使えず、神宮球場で行われたが、国内28年間無敗を誇った慶大が、8対6で初めて敗れた試合である。
ラグビーの本国イギリスで、国際試合に選手のナンバリングが採用されたのは、1920−21年のシーズンからだから、1924年の早慶戦で背番号が採用されたのは、かなり早い対応だといえる。ただし、海外遠征では、観客が見慣れない選手の判別をする必要から、1903年の全英代表チームのニュージーランド遠征では、背番号を付けて試合をしている。
1922年の5か国対抗イングランド対スコットランド戦で、スコットランド側は、背番号を使っていない。プロのラグビー・リーグで、全チームに番号を付けることが強制されたのは、1911年のことだったが、スコットランドは、「背番号は、プロフェッショナルの習慣だとして付けなかった」と説明されている。イングランドも番号を付けたり付けなかったりを繰り返した。
入場料の徴収には敏感だった慶応が、背番号には寛容だったのは不思議な気がするが、他の競技では、すでにこの時点で選手交代のあるバスケットボールやバレーボールは、背番号を付けて試合をしている。関東の大学サッカーで背番号が使われるようになったのは1929年からだが、1926年の神宮体育大会のサッカーの決勝、大阪サッカークラブ対仙台サッカークラブ戦では、番号の書かれたゼッケン様の布を胸に付けて試合をしている。見慣れた選手が出場する大学の対抗戦と違い、誰がプレーしているか識別する必要があったからであろう。
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秋山陽一(あきやま・よういち) |
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