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Rugby football

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Wonderful Rugby 〜もっとラグビーを楽しもう〜

ラグビーに興味があるけどあまり良く知らない、あるいはラグビーを全く知らない人に向けて、これだけは知っておきたいラグビー情報をシリーズでお届けします。

Scrapbook history of rugby スクラップで読む日本ラグビー史〜

日本国内で、初めてフットボールに関する記事を取り上げたのは、一八六六年一月二十六日付けの横浜の日刊英字新聞ジャパン・タイムズ・ディリー・アドヴァタイザーである。旧暦にすると慶応元年十二月のことである。日本のラグビーのルーツ校といわれる慶応義塾にラグビーが導入される三十三年も前のことだ。横浜には、在留欧米人による長いスポーツクラブの歴史があり、それは今も横浜根岸台のYC&ACに引き継がれている。
 この連載では、以来現在に至る百三十七年余りの間に書きつづけられたラグビー記事を集めた私のスクラップブックの中から、その時々の話題を拾いながら最終的に日本ラグビー史を綴ろうというものである。

年表

■Vol.07 次回出場権あり a right of participation next time

 41回目を迎えた2004年度の大学選手権は、早稲田大が関東学院大を下し、明治大と並ぶ12回目の優勝で幕を閉じた。このところ毎年制度の見直しが行われている日本選手権の出場権は、決勝に進出した二チームに与えられた。

 今年2回目を迎えたマイクロソフト・カップ準決勝では、トヨタ自動車が終了間際の広瀬佳司(京産大)のPGで同点としたものの、抽選の結果、ヤマハ発動機が決勝に進むことになったが、過去、大学選手権では、4回の引き分け試合があった。第8回大会の一回戦、同志社大対中央大は、後半26分同大主将金城仁泰(新宮高)が、インゴールで左WTB石橋健一(長崎猶興館高)にパス、中央にトライさせた。このプレーで(7)中西登志夫のコンバージョンが決まって32対32の同点となる。この後の2度のPGを中大が外し、結局引き分け。試合後の抽選では、予備抽選に負けた同大金城が残った封筒を引くと、「次回試合への出場を認める」と記されていた。

同大中大戦以外の3回は、いずれも決勝戦。
 第05回(1968年度) 慶応大 14対14 早稲田大
 第22回(1985年度) 慶応大 12対12 明治大
 第25回(1988年度) 大東大 13対13 明治大

 慶応大は、二度とも抽選で勝って日本選手権に進んだが、逆に明治大は、二度の引き分けとも次回出場権なし。1985年度の決勝戦は、冷たい北風と冷雨の中の一戦。引き分けとなった後、「オレは今日でも明日でもいいよ」と北島明大監督。金野協会専務理事が抽選をセッティングするために、まず敬意を表して北島監督にたずねた。これを聞いた上田慶大監督は一瞬腕組みして考え「あしたにしましょう」と答えた。決戦の前日、二人はゲームを占うように運試しをした。北島監督は恒例のマージャンで、役満の四暗刻をつもった。上田監督はパチンコをやって2回フィーバーした。

 翌日午前10時から抽選が行われジャンケンで3度目に勝った慶大が、予備抽選、本抽選ともに先にクジを引いて幸運を呼び込んだ。17年ぶりの日本選手権で再びトヨタ自動車と対戦した慶大は、18対13で10年ぶりに学生に日本一をもたらした。
 1988年度は、この年からトーナメント戦の規約が改正されて、大学選手権は双方優勝だったが、同点の場合トライ数の多いチームに日本選手権への出場権が与えられることになり、新聞には、「北島87歳御大、喜びも中位」の見出し。

 第5回の早慶の決勝戦は、14対9と早大リードで迎えた後半21分、早大インゴールでのノッコンからゴール前のスクラムとなり、このスクラムで早稲田は膝をついたとして松尾勝吾レフェリー(成城大OB)がペナルティトライの判定、SO宮田浩二(慶応高)のコンバートが決まり14対14の同点、結局引き分けとなった。両者優勝の表彰式の後、日本選手権の学生代表を決める抽選が行われ、ジャンケンに勝った慶大宝田誠治主将(住吉高)が、「出場権あり」の封筒を引いた。

 1969年1月11日の毎日新聞に「早大に友情の招待状 お返しに激励のレモン」という記事と、東京駅駅頭で1月5日の抽選で涙を飲んだ早大の山本巌主将(新田高)が新幹線で花園に向かう慶応フィフティーンの門出を祝う写真が載る。

 

 慶応の宝田主将は、大学選手権の後、山本に手紙を送る。
 「幸運にも塾が日本選手権にさせてもらいますが、われわれはいまもなお早稲田と連合軍をくんで日本選手権を戦いたいという気持ちに変わりはありません。しかし大会規定でそれが出来ない以上、貴君に早稲田大学の代表として花園に来ていただきたいと部全員が念願しています」

 記事は、「山本君は慶大から送られた旅行経費をそっくり”レモン代”として贈った。ハーフタイムには友情のレモンが慶大のファイトをかきたてることだろう」と結んでいる。

 山本は、1月15日、小雪の降る花園ラグビー場のトヨタ自工戦、慶大ベンチで友情応援をした。しかし、FB万谷勝治(早大)、CTB尾崎真義(法大)ら老巧なトヨタの前に慶大は44対16と敗れた。「期待にそえずすまなかった」と山本の手を握る宝田に、「十九日の(学生)東西対抗では慶大のFW、早大のバックスが力を合わせて西軍を破ろうぜ」と語った。

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秋山陽一(あきやま・よういち)
1947年東京神田生まれ。ラグビー競技歴なし。都立田園調布高校時代の同級生、漫画家の植田まさしや関西学院大教授の植島啓司がラグビー部にいた。1972年早大第一商学部卒。TVKテレビに入社し関東大学ラグビー中継に携わる。放送開始に当たって手書きの記録集「関東大学ラグビーハンドブック」を作成、これがラグビーの記録との出会いとなる。1990年頃から日本のラグビー黎明期の歴史に興味を持ち調べ始め、以後、神保町の古書街やラグビー協会の倉庫での発掘作業が続く。2003年1月からフリーに。

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