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Rugby football

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Wonderful Rugby 〜もっとラグビーを楽しもう〜

ラグビーに興味があるけどあまり良く知らない、あるいはラグビーを全く知らない人に向けて、これだけは知っておきたいラグビー情報をシリーズでお届けします。

Scrapbook history of rugby スクラップで読む日本ラグビー史〜

日本国内で、初めてフットボールに関する記事を取り上げたのは、一八六六年一月二十六日付けの横浜の日刊英字新聞ジャパン・タイムズ・ディリー・アドヴァタイザーである。旧暦にすると慶応元年十二月のことである。日本のラグビーのルーツ校といわれる慶応義塾にラグビーが導入される三十三年も前のことだ。横浜には、在留欧米人による長いスポーツクラブの歴史があり、それは今も横浜根岸台のYC&ACに引き継がれている。
 この連載では、以来現在に至る百三十七年余りの間に書きつづけられたラグビー記事を集めた私のスクラップブックの中から、その時々の話題を拾いながら最終的に日本ラグビー史を綴ろうというものである。

年表

■Vol.10 原綴り original spelling

 結果が出てみると何故そんな遠回りをしてしまったのだろうかと思うことがある。とはいえ、長年捜し求めていた答えがようやく発見できるとそれは本当に嬉しいものである。

 日本代表が初めて結成され、カナダの西海岸に、もちろん初となる海外遠征をしたのは、1930年8月から9月のことだった。今年のスーパーカップの決勝で対戦したカナダとは、国代表同士のテストマッチとしては17戦目、1トライ差の敗戦で、通算すると日本の9勝8敗。韓国、香港に続く3番目の対戦数である。しかし、1991年以降に限ると12戦4勝8敗。つまり1932年のカナダ代表の来日以来5戦全勝だったのである。これ以外に1959年に来日したブリティッシュ・コロンビア州選抜と当時の全日本の1敗1分を入れて日本協会は、通算19戦目としているから、今年の敗戦で、9勝9敗1分のタイとなった。

 さて、私が探していたのは、最初のキャップ対象試合、1930年9月24日のブリティシュ・コロンビア州代表との第6戦のカナダ側の3番右PRポーチュースの原綴り。他の14人は確定できたが、ひとりだけ判らない。愛用の三省堂・固有名詞英語発音辞典で探すがどうしても見当たらない。

 第5回のRWCの前に、IRBのクリス・タウ氏から日本代表キャップ対象試合の英語表記の両チームのメンバーや得点者などの試合記録作成の依頼が回りまわって私に来た。この機会に以前からの疑問を解決しようと、日本協会の倉庫で遠征軍の香山蕃監督から寄贈されていたカナダの英字新聞の束を調べることにした。しかし当該の第6戦は、邦字新聞の「加奈陀新聞」と「大陸日報」の記事だけしか見当たらない。

 「ポーチュース」とカタカナに置きかえられた原綴りにより近い発音として、例えば、Bouchers とかBurgessを考えてみた。「ポ」で始まるのではなく「パ」あるいは、「バ」の間違いではないかと推測したのが、そもそも勘違いだった。しかし、締め切りまでに結論が出ないまま、タウ氏に送ったデータは、右PRの綴りが空白のままだった。

 2005スーパーカップは、去年同様、カナダと日本の決勝戦になると予想した私は、再度この問題に取り組むことにした。ヒントは、彼が遠征4戦、5戦で対戦したビクトリア・チームの選手であることだった。9月17日の第4戦のメンバーは、当時の東京日日新聞に(6)パーチァス、20日の第5戦のメンバーは、東京朝日新聞に(6)ポーチャスと載っていた。

 そこで、この2試合の記事の載っている英字新聞を調べなおすことにする。そして「Victoria Daily Times」の5月19日に17日に対戦した両チームの集合写真を見つけた。そこには、出場選手や協会関係者の名前が一人一人記されていたが、なぜか探していた6番の選手が写っていない。

 さらに22日付け「Victoria Daily Times」7面の第5戦の試合記事を見る。読みすすむと、前半の試合経過の途中で、「14面に続く」となっている。うかつなことに、以前、資料を探した時に7面しかコピーしていなかった。再度協会の倉庫を訪ね、新聞の束を取り出す。そして14面を開くと記事の最後にメンバーが載っていた。この時点でも私は、右PRの名前は、Burgessの読み間違いだと思い込んでいた。

 だがそこには、ポーチュース=W. Porteousと綴られていた。危うく勝手な思い込みをして大間違いをしでかすところだった。自宅に戻り、固有名詞辞典を引く。ちゃんとPorteousがあるではないか。

 改めて初キャップ対象試合のカナダ側のメンバーを記す。

British Columbia 州代表
(1) Godfrey Wenman Victoria
(2) George Warnock Victoria
(3) W. Porteous Victoria
(4) Bruce Ledingham Vancouver
(5) Bob Normington Vancouver
(6) W. Murray UBC
(7) Cambell Forbes Victoria
(8) B. Barrett UBC
(9) George Niblo Vancouver
(10) Earnest Cameron Vancouver
(11) Art Fell Victoria
(12) Gaule UBC
(13) E.C. Pinkham Vancouver
(14) B. Barrett UBC
(15) Wright Vancouver

埋もれている過去の事実を探し出すには、想像力を働かせて幾つかの仮定を立てる必要がある。しかし、時には余計な回り道をする結果にもなることを改めて思い知った。

秋山陽一(あきやま・よういち)
1947年東京神田生まれ。ラグビー競技歴なし。都立田園調布高校時代の同級生、漫画家の植田まさしや関西学院大教授の植島啓司がラグビー部にいた。1972年早大第一商学部卒。TVKテレビに入社し関東大学ラグビー中継に携わる。放送開始に当たって手書きの記録集「関東大学ラグビーハンドブック」を作成、これがラグビーの記録との出会いとなる。1990年頃から日本のラグビー黎明期の歴史に興味を持ち調べ始め、以後、神保町の古書街やラグビー協会の倉庫での発掘作業が続く。2003年1月からフリーに。

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お問い合わせ先 rugbycolum@wasedaclub.com