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Rugby football

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楕円球コラム 〜Extra〜

■プロップマガジンW
Vol.7 復活するは我にあり(3)

 いよいよ、2期目のトップリーグが始まった。
 早稲田大学ラグビー部のスクラムコーチからリコーに、トップリーガーに転じた佐藤友重さん(32)の、最初のシーズンが始まったのだ。

 今回は、佐藤友重復活インタビューの最終回。

――で、ワールドに入って、今、32歳でお戻りになるってことは、やっぱり何かこう、楽しいとか、ラグビーに対する何らかの、やってて良かったとか充実感というのはあると思うんですが。ラグビー全体なのか、それとも、プロップという自分の職業としてやっぱりもう1回戻ろうかなと思われたのか

 それもありますね。やっぱり、4年前にかみさんが亡くなって、中途半端に現役を終わってしまったという。その時に、もうやるだけやったなと思ってやめられてればよかったんですけど、どうしても、もうちょっと続けたかったなという意思がすごいあったので。
 そういう意味では、しょうがなく辞めた。家族にやっぱり迷惑掛けたくないですからね。
 そこで引退をして、すぐ清宮さんに「早稲田でコーチやってくれ」と声をかけていただいた。清宮体制になってからすぐのことでもありましたし、声をかけていただいて、結果、コーチやってすごいよかったなというのもあります。

――コーチやってよかったのは、どういうところですか

 コーチやってよかったっていうのは、やっぱり、現役と密にコミュニケーションが取れたっていうか、現役と同じ目線で話ができたっていうことですね。あと、やっぱり、現役が食らい付いてきたときに。何か、僕に心を開いてくれていろいろ質問来るじゃないですか。そのときに、フィードバックをして、それがかたちとなって戻ってくる。何かつかんでくれたときにうれしい顔をされると、やっぱりうれしかったですね。

――現役の目線っていうのは、つまり、ラグビー選手としての目線なのか、それとも大学生プレーヤーとしての目線なのか

 選手としてですね。

――いうことはつまり、自分は大学生レベルまで落とさずに、現役の、要するにまだワールドでやってらしたころの目線というかセンスですよね、ラグビーに対する。で、まだすーっとそれがキープできたっていうことですね

 そうですね。

――ポテンシャルも?

 はい。僕が何で今回の復帰に至ったかっていうことの結論からしても、やっぱり、現役がいて、僕がいて、ラグビーの話をすると共通しているわけじゃないですか。いろいろずーっと同じ目線で話ができたっていうことが、今回、僕が復帰しようということにつながっているんだと思います。
 多分、コーチやってなかったら絶対に現役に復帰しなかったと思うんですよね。早稲田のコーチという、ああいう環境にいたからこそ、毎日、仕事帰りに深夜遅く1人でぱーっとやることができたんで。

――私は38歳なんですけど、32歳でプロップというポジションにもう1回戻ることは不安じゃないですか?

  いや、不安じゃないですね。というのは、早稲田では3番がみんなケガしていなくなったりしたんです。で、清宮さんにたまに「スクラム組めないから、おまえ、スパイク持ってこい」って。僕がぽっと早稲田のBチームの3番でやるわけです。で、組むと、自分の心の中では「まだ全然いけるじゃん」みたいのがあって。
 例えば、サントリーと早稲田の合同練習することがあったんですが、スクラムの練習をみていると「ここはこうだろう」みたいな。

――ツボがわかる、と

 そう。やっぱり、「自分が中に入ってやりたいな」みたいなものがすごく心の中にずっとあったんですね。「ここはこうだろう」とか伊藤雄大に言うと、あいつら、ちゃんとやるわけですよ。で、サントリーのスクラムを押しちゃうんですね。それがまたうれしかったりして。

――「ここはこうだろう」っていうのが、プロップでしか分からない部分もあるんですね

 分かんないでしょうね。だから、レフェリングのジャッジとか見てたら、「あれ?」と思うときがありますよ。レフェリーの人って、フロントローの出身の人って絶対少ないと思います。

――どなたか知ってます? フロントロー出身で

 一人も知らないです(笑)。バックスが多いんじゃないですかね。そういう話ってされたことないですか。

――誰とですか

 いろんなプロップの人たちと。レフェリーの方がどこのポジションの出身の方が多いかとか。

――ないですね

 ないですか。けっこうそれは面白いかもしれないですね。

――そうですね。ただね、やっぱり、プロップの人に話を聞くと、全然レフェリーがスクラムのことが分かってないっていうのはよく聞くんですよ

 そうでしょう(笑)。

――早稲田ラグビー部のHPでの特集の中で、「高校のころからがんがん組んできたから若いやつらには負ける気しない」っていうことが書いてあるんですけど、「がんがんやる」っていうのはどういうことなんですか

 がんがんやるっていうことは、ひらすら数を組むということですね。ポジ連(ポジション別の練習)も含めてなんですけど、とにかくスクラムに費やす時間というのがものすごい長いものですから。スクラムだけでも2、3時間とかやったりして。あれはもう、最後のほうはつらくなって涙が自然に出てくるんですよ。

――それは、痛いから出てくるんじゃなくて?

 つらくて涙が出てくるんです。

――つらいなら、やらなきゃいいじゃないですか

 いや、でも……。

――それは、やらされるんですか。それとも、自分たちでやろうと決めてやるんですか

 やらされてました。OBが来てですね。大体、スクラムばっかりやらせるのは、明治OBなんですけども(笑)。

――それを高校3年間、大学4年間やってきて、7年ですよね。そうやってがんがんがんがんやってきたから若いやつには負ける気がしないということならば、今はそんなにたくさん組まないんですか?

 早稲田の子たちにはすごく組ませてます。というのは、この間、サントリーの上村康太(早稲田OB)の結婚式で長谷川慎と話ししたんですけど、今の若い子たち、組んでて、全然強いやついないっていうんです。何でだろうねっていう議論になって。
 要するに、今、高校ラグビーがローカルルールで1.5メートル以上押せないっていうルールになってから、やっぱりスクラムのレベルっていうのが異様に下がったような気がします。
 基本的に身体が強いやつっていうのは、例えばトヨタの豊山(昌彦)は、大体大とワールドでよくスクラム練習してたんですけど、僕らはフロントローが入れ替わり入れ替わり、回し回しでやってるんですけど、向こうはもう、ずーっと組みっぱなしなんですよ。もともと彼は身体能力が高かったんで、たくさんスクラム組めばやっぱり強くなる、と思ってましたね。

――そういうジュニアの時に、数こなしてやってないし、むしろ、押すよりも何かフィールドプレーというか、そういう方向に向いていっているんで

 そうですね。ひざが弱いんですよ。姿勢とかカメで何が強くなれるかというと、やはりひざが強くなるんです。大きい筋肉ではなくて、基本的にこの中の細かい筋肉が強くなるために。僕らの時っていうのは、これが芝生であれば、ひざ位置はこれぐらい(20cmほど)だったんですよ。今はもうこんなん(40cmほど)ですからね。

――立ってるじゃないですか、伊藤雄大は(笑)

 あれがホント、ひざがこれだけ(20cm)沈めばもっと押せるんですよ。だから、それをやるかやらないか。多分、スクラムに費やす時間が少ないんでしょうね、今の高校生っていうのは。それだけ重要視されないんで。
 まあ、高校がどれだけスクラムで試合やってるかっていうのは分かんないんですけど、ああいう当たり方でああいう押し方であれば、多分、大学生でまた一からやっていかなくちゃいけないっていうのがあるんで。
 だから、早稲田でも、カメとか姿勢とか突っ込みとかっていうのをすごいやらせているんです。じゃないと育たないですからね。社会人でいきなりやれって言われても、絶対できないですから。

――そうですね。今回復帰なさるにあたって、ライバルっていうのは?

 ライバルですか。まあ、自分ですね。今、3年ブランクがありますし、とにかく練習やるしかないなと日々思っていて。僕ら、9時から5時半までは仕事で、7時から練習なんです。全体練習が大体2時間ちょっとあって、終われば個人練習があるんです。いつも、個人練習が終わるのが11時回ってますね。それから飯食って風呂入ってなんていうと、もう12時超えちゃうんで。

――トップリーグの1番には、けっこう強い人がいっぱいいるんじゃないですか

 強いと思いますね。だから、どうなんですかね。ものすごい未知数の部分ですけど。実際、3年離れてるんで、早稲田の子たちとは組んできましたけど、ものすごい分からない部分が多いんですよ。まあ、やってるラグビーは分かるんですけど、例えばそのスクラムを、トップリーグのスクラムでどれぐらい俺ができるか、自分がやることできるか、通用するだろうかみたいのが頭の中に何となくしかイメージできないんで。

――繰り返しになりますが、32歳といえばもうみんなやめていくという状況なのに、どうして佐藤さんはもう1回入るのかという。もう1回現役ラグビーの世界に入っていくって決めた、決断した理由というのは何ですか

 それはですね、自分がラグビーやりたいと思ったのは、それはあるんですけど。

 それもあるんですけど、子どもの母親が4年前に29歳で亡くなって、今、なかなか子どもと接する機会がないという状況になっていて、子どもにどういうかたちで教育なりとか、子どもに対してのメッセージであるとかっていうのを伝えていけばいいのかなと思って。

 おじいちゃん、おばあちゃんに教育されてるんですね。まあ、そこら辺の教育は全然心配してないんですよ。うちの両親はすごく厳しいんで、それは全然気にしてないんですけど。僕なりに親として子どもに何かわかってもらいたいなとか、こういうことをしてもらいたいなっていうことがやっぱりあるじゃないですか。

 そういう意味で、母親がいない分、じゃ俺が何を、彼女のことも考えて何を、娘2人なんですけど、娘2人に伝えていかなくちゃいけないのかなっていうときに、やっぱり、大人になったときに、自分のやりたいことを素直に、「これがやりたい」、「自分がこれをやっててよかったな」と思えるようなことをやってほしい。

 だから、僕、ワールドに7年いてしょうがなく引退をして、3年早稲田のコーチを勤めて。やっぱり、「ラグビーやりたいな」っていう意思がどこかにあったんですよね。そういうものを完全燃焼しないと次のステップには移れないみたいなところがあって。だから、子どもに対してその思いを伝えたかった。

 例えば僕がラグビーをやっている姿を見て、「ああ、お父さん、すごい目生き生きしてるね」っていうことで子どもが何を感じるかですので、やっぱり何かあると思うんですよね。

――やっぱり不完全燃焼な状態だと、子どもに伝えることは弱いものしか伝わらない?

 弱いものしか伝わらないと思います。だから、何かごまかしごまかしやってる人生っていうのがすごい僕は嫌だったっていうか。前の会社でやってた仕事にものすごい生きがいを感じてやっているのであれば、それはそれで全然OKだったと思うんです。でも、「俺、違うだろう?」みたいな、自分の心の中で「もう1回ラグビーやってみたい」という気持ちがあって。

 僕、今、練習楽しくてしょうがないんですよね。普通に5時半まで仕事やって、そのあとラグビーやってどーんと体がきつい、モチベーション低いなみたいなところが、今まで、ワールドの時でしたらあったんですけど。でも、いざ練習があれば、身体はつらいですけど、何か、すごい自分が生き生きしてるぞっていうのをすごく感じられますね。

上井草タタミ(かみいぐさたたみ)=別名:府中四六蔵)
1966年長崎県佐世保市生まれ。長崎海星高校、早稲田大学卒。高校入学から大学卒業まで11年もかけた慎重派。学生時代からフリーライターとして週刊誌や月刊誌で活動を始める。専門は日本の政治と経済と社会と文化。
サントリー・サンゴリアスのHPで「プロップマガジン」を執筆。
「仕事が入った」と家族に偽って土曜日日曜日祝日その他にラグビーを観戦し執筆するのもそろそろ限界かな、と最近感じている本人と騙されてるふりをしている家族(主に妻)である。

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