■プロップマガジンW
Vol.1「プロップとは何だろか」
先日、新聞の政治のページをぼんやり眺めていると「スクラム」という文字が目に入ってきた。
衆議院の選挙が終わって、自民党の重役さんが選挙で落選ことに関して、福田康夫官房長官が
「新しいメンバーでスクラムをしっかり組んでやる」
と発言した記事だった。
世の中あんまりラグビーの話題になることはないが、「スクラムを組んで」という表現はたまに耳にする。「一致団結して事にあたる」という意味で使われるのだけれども、それでも「一致団結」すら死語的になってきたので、「スクラムを組んで」何かをするような決意の表明もそうそうしなくなってきてもいる。
しかし、そもそも「スクラムを組んで」と口にする人は、実際にスクラムを組んだことがあるのだろうか。
実際にスクラムを組んだこともないくせに、という了見の狭い話をしようというのではない。
ぜひ実際にスクラムを組んでみてください、というお願い系の話をしようというのである。
「スクラムを組んで」の一致団結のイメージは、どちらかというと「押し競らまんじゅう」ではないだろうか。もしくはスポーツの試合の前の「円陣」だったりもするだろう。
ところが、実際のラグビーにおけるスクラムは、プロップ(背番号1番と3番)、フッカー(2番)というフロントローの3人がいて、その後ろにロック(4番、5番)、フランカー(6番、7番)の4人がいて、そのまた後ろにナンバーエイト(8番)がいる、という形態になる。
そこで、私が「ぜひスクラムを組んでみてください」というお願いをするときに、ぜひとも担っていただきたいポジションがフロントローなのである。
お願いしている私がいうのも変だが、もし私がそうお願いされたら、お断りする。それでもぜひ、といわれれば、こちらは七つのヒザを八重に折ってでも願い下げさせてもらう。
その理由のひとつは、痛いからだ。
ボールを使うスポーツ(球技)で、選手の接触プレーを許している競技は多くないし、まして意図的に衝突して相手を掴んでなぎ倒してボールを奪え、という競技はほとんどない。ほとんどない中のひとつがラグビーで、そのラグビーの中でボールも持たず手も使わず、相手に激突して押し込んでしまえ、というのがスクラムというプレーなのである。乱暴にいうと、そうなのである。
しかし、相手に直接激突するのはフロントローだけなのである。すると、スクラムでロックは何をしているのか、フランカーは何をしているのかというと、プロップのお尻を肩で押しているのである。その後ろ、ナンバーエイトはロックのお尻を押しているのである。
つまりフロントローは、前からは相手の8人に押され、後ろからは味方の5人から押されているということになる。
しかも、スクラムを組むときには互いに勢いつけて衝突して始めるので、フロントローは痛いなんてもんじゃない。痛みの次には前後から押される苦しみもやってくる。
さらに、プロップの格好を見てください。
味方のロックが股の間から腕を伸ばして腹を掴み、腰の横から顔をのぞかせている。まるで道化じゃないかと思うのは他人だからで、プロップ本人たちはいたって真面目にその事実を受け入れざるを得ないのである。嗚呼。
次にプロップ(以下、プロップとフッカーを総称してプロップと書きます)は目立たない。
試合で活躍しても、翌日の新聞に載ることはまれだし、試合前の取材で記者から質問を受けることもまれだ。あるいは質問されたとしても、
「調子はどう?」
というなんてことはない質問が往々にしてあるし、そんな質問に対しては、
「いいっすよ」
と答えるしかないし、
「明日の見どころは?」
記者もこれしか聞くことがないことも往々で、聞かれたプロップも
「スクラムを見ててください!」
というほかない。
見ててください、といわれたからには見るのが人情だけれども、見れども見えずで、スクラムでは押し合いをしているのが見て取れるだけで、その中でプロップが何をしかけているのかは見えない。それでも見てやるぜ、と目を凝らし意識を集中していると、ボールはスクラムから出て、どんどんほかの選手が持ち運んでいく。
じゃあスクラムが終わったプロップがどう動いてプレーするだろうか、とじーっと注視していると、グラウンド全体でのプレーが見られなくなってしまう。
だから、みんなプロップの動きなんて見ていられない、ということになる。
ところが、早稲田対筑波の試合の後半に誰もが早稲田のプロップを目に焼き付け、声援を送ったシーンがあった。
筑波の波状攻撃に、早稲田のディフェンスが自陣直前まで追い込まれ、ラック(だったかモールだったか)が形成されていた。そのとき、諸岡省吾(1番、3年)と伊藤雄大(3番、3年)は、さっきまでモール(だったかラックだったか)ができていたハーフライン近くから、堂々と自陣まで歩いて戻るではないか。敵のバックスラインのさらに後ろを平然と、しかも二人前後に揃って行進でもしているように整然と歩み、次のプレーの地点までやってきた。珍しい「50mウォーク」をやってのけたのだった。あっぱれ諸岡、伊藤。
ちなみにこの二人は、国学院久我山高校の同級生である。さらにちなめば、フッカーの青木佑輔はその一学年下の選手である。
もちろん、この二人のそのプレーには罵声もあったし、笑いもあった(主に早稲田のスタンドの選手からだったが)。よろしくないプレーではある。
しかし私はそれをよしとする。なぜなら、彼らがプロップだからである。プロップには、そういうキャラクターがいて欲しいからである。
笑いといえば、市村茂展(1番、2年)なんて、歩いているだけでオックスフォードの選手から笑われていたらしい。聞けば、
「ヒー・イズ・ファニー、なんて指差していわれてましたからね(笑)」
と、市村本人も嬉しそうに笑っていた。
あるいは、喫茶店でこっそり彼女とデートしていたのに、
「お前、さっき喫茶店で彼女といただろ」
と、からかわれる選手もいる。たとえ背中を見せていてもわかるのである、イスからはみ出して座っている人間なんてそうそういないからである。
しかし、プロップはキャラがいいだけではない。
私は、プロップをこう定義づけている。
「体重100kgを超えてスポーツ界一速く走り強く押せるデブである」
恐るべきデブなのである。
デブ、ではあまりに品がないので「巨漢」としてもいい。
そして、彼らの仕事は誰もがほとんど目にすることができない、あるいは目にしようとしない下支えの仕事である。
スクラムでは最前線で相手に衝突し、ラインアウトでは味方の選手をリフティングし、キックオフでもリフティングするが、このときは突進してくる相手の選手に背中を見せながらのリフティングである。彼らが抱く恐怖心はいかばかりのことだろうか。
なのに、繰り返すが、プロップが試合中に何をしてゲームに貢献しているのか見えてこないし、新聞も書かないからさっぱりわからない。
もしプロップという人たち、彼らの仕事ぶりをせめて想像だけでもできるようになれば、目で見るラグビーはもっと楽しくなるかも知れない。
もし彼らの仕事ぶりの素晴らしさを知れば、自分もプロップになろうと思うようになるかも知れない。
もしバックスのプレーヤーがプロップのことをわかってくれれば、ラグビーをもっと好きになるかも知れない。
もし自らプロップとなる志を持ってくれたら、「スクラムを組んで」事を成そうという人たちは本当に成功するに違いない。
「50mウォーク」をして恥じないプロップとはこういう選手たちだということを、私はしつこく書いていこうと思う。
![]() |
上井草タタミ(かみいぐさたたみ)=別名:府中四六蔵) |
[BackNumber]
Vol.06 | 復活するは我にあり(2) |
---|---|
Vol.05 | 「復活するは我にあり」(1) |
Vol.04 | 「清宮監督はプロップだった!?」(後編) |
Vol.03 | 「清宮監督はプロップだった!?」(前編) |
Vol.02 | 「スクラムとは制空権争いである」 |
Vol.01 | 「プロップとは何だろか」 |
※楕円球コラムについてご意見・ご感想はこちらへどうぞ
お問い合わせ先 rugbycolumn@wasedaclub.com