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Rugby football

ニュース・コラム

楕円球コラム 〜Extra〜

■プロップマガジンW
Vol.5 「復活するは我にあり」(1)

 昨シーズンまで早稲田大学ラグビー部のスクラムコーチとして清宮監督体制を支えていた佐藤友重さん(32)が、リコーに再就職し、トップリーグチームでラグビーのフィールドに復活をする。

 もちろん、プロップである。

 佐藤さんは秋田工業高校から早稲田に入り、高速フォワードのプロップとして活躍。卒業後はワールドでスクラムをゴリゴリゴリゴリ押していたが、事情があって28歳で現役引退(そのあたりの経緯は、早稲田大学ラグビー蹴球部HPの特集に詳しい)。早稲田のコーチとなる。

 で、32歳である。普通なら引退する年齢だが、佐藤さんは逆に復活をするわけである。
 で、トップリーグでの試合は未体験である。
 何故32歳で再挑戦なのか。
 プロップマガジンWも久々の復活で、プロップ佐藤友重に迫った。(最後だけ敬称略)

――ラグビーは何歳から始めたんですか?

 僕は高1からですから、16の歳からですね。

――きっかけは何だったんですか

 きっかけはそもそも早明戦です。あれは何年になるんですかね、ちょうど清宮さんが2年生のときの「雪の早明戦」の前の年の早明戦ですね。

――雪の早明戦」って、何年だったかは覚えてないけど、試合当日の朝まで大雪で、それで……、ってのはけっこうラグビーファンなら知ってますよね。で、その「雪の早明戦」を見て、と?

 いえ、雪の中の早明戦は、僕、高1だったんで。その前の年の早明戦を見て。
 で、そのあとの日本選手権、大東文化大学対トヨタ自動車の試合を見て、僕、当時けっこう体力的には自信があったので、そのテレビを見て、僕にはこれしかないというところで。

――それまではどんなスポーツを?

 野球をやっていたんです。

――???野球からラグビー???

 あのときのトヨタに、国定さんてウイングの方がいらっしゃったんですね。そのウイングの華麗な走りを見て、ラグビーって面白そうだなと。

――面白そうだと思ったけど……

 逆に、泥臭いプロップに回されてしまったんです(笑)。

――ありがとうございます(笑)。秋田工業高校に入ってからラグビーに変わった、と

 いえ、そもそもですね、僕は普通の進学校に普通に受験をして大学に行きたいみたいな、ただそれしか頭になかったんです。そういった中で……。

――早明戦だの日本選手権だのラグビーを見て、人生変わってしまった、と

 はい。それがものすごい印象強かったんです。それで、秋田に住んでいましたから、秋田工業って、毎年全国大会に出てたじゃないですか。で、確実性があるのは秋田工業のラグビー部かなと。

――進学校に行くつもりが秋田工業にラグビーしに行って、じゃ、プロップになったのは何年生からですか?

 プロップになったのも高1からですね。

――その当時は、身長体重どのくらいあったんですか

 その時は、身長は177cmあって、体重は85kgぐらいでした。

――今、どのくらいですか

 103kgで、180cmちょうどです。

――高校にはいる前に、177cmで85kg。野球ではどういうポジションをしてました?

 ピッチャーです。あとは、短距離がけっこう速かったので、外野したりとかですね。

――短距離って、100メートルどのくらいですか?

 当時、11秒5でした。

――めっちゃ速いじゃないですか。というような速い走りを持っていながら、なぜオレがプロップかっていう疑問がありませんでした?

 そうですね(笑)。1回だけ、「ウイングをやってみろ」って監督に言われたんです。当時、黒沢監督っていう方だったですけども。全国優勝したV15の初めて監督された方です。その監督にやれと言われてやったんですけど、1回見てもう「もういい。おまえプロップだ」と(笑)。

――何か自分で失敗したのかとは思いました?

 いえいえ、多分、走りを見てセンスを感じなかったんだと思います(笑)。

――でも、その当時の高校生で、177cm85kgのウイングって、ものすごい選手になってたかもしれないですね

 でも僕はどっちかというと、スタートダッシュの瞬発系で最初の50メートルだけスピードが乗るのではなくて、後半スピードに乗っていくみたいな、そういうタイプだったんで。たぶん、最初の加速が悪ければあまり使い道ないなというのがあったのかもしれません。

――プロップだと言われた時に、プロップっていうポジションはご存じでしたか?

 全然分かんなかったです。

――で、プロップの所に行きますわね。そういうすると、どういう感覚がありました?

 もう、ただ、イメージはあれですね、田んぼで牛が何か引いてるじゃないですか。

――犁(すき)

 そう。あの犁のイメージがものすごいあったんですよね(笑)。

――スクラムマシンを押しているのを見ていると(笑)

 そうです、そうです。何かもう、ただ単に働かされてるみたいな(笑)。

――そうしたらもう、野球やってたほうがよかったんじゃないかとか思いませんでしたか?

 いや、それはなかったですね。

――絶望はしなかったですか

 絶望はなかったです。でも僕、初めて試合をした時、死ぬかと思いましたもん。

――どういうふうに?

  スクラムをまず押して、ブレークして走らなくちゃいけないんです。だから、ぐーっと圧力を掛けて、ぐっと圧力したところでもう、「わー、きつい」。それからまた走らなくちゃいけない。
 で、上井草さんがこの間、「プロップマガジンW」で、昨シーズンの試合で諸岡(現キャプテン、1番)と雄大(伊藤、3番)がもう歩きまくっていくっていう(vol.1参照)。
 まさにほんと、あんな感じですね。「こんなんで走れるわけがないじゃん」みたいなですね、「ふざけんな」みたいなですね。
 華麗なところに魅せられてラグビー始めたのに、やってるのは……。

――でしょ? ということは、後悔した。そうでしょう? こんなはずじゃなかったと

 こんなはずじゃなかったと。

――(上井草、わが意を得たりと満足そうに首肯く)で、高校の1年からレギュラーですか?

 いえ、僕は2年からです。1年の時は入るか入らないかぐらいのところまで行ったんですけど、もう。プロップって、キャリアがあればあるほどテクニックとかそういう駆け引きみたいなところがだんだんだんだん、やっぱり年々分かってくるじゃないですか。キャリアを積めば積むほど熟練したプレーヤーになるわけです。
 やっぱり、何も分からずにラグビーを始めて、まだ10カ月ぐらいなので、ほんとにルールの「ル」の字もわからないぐらいですね。
で、1年生の新人戦が大体9月か10月ぐらいにあるんですけども、相手が蹴ったボールが僕らのチームの後ろの方まで転がっていったと。それを僕が拾いにいって……

――普通ならそこで蹴り出すか、カウンターアタックを仕掛けるか

 でも、そのボールを拾っていいものか悪いものかわかんなくて。

――まだ練習でもボールにさわったことすらないからね

  ええ(笑)。それを相手が拾ってトライされたら、もう負けるんじゃないかという。すごい接戦だったんですよ。すごく怒られましたね。監督が冷や冷やして見てたらしいんですけど。

――結局、拾わなかったんですか。

 拾いました。拾って、走りはしなかったんです。そこでポイントを作ったんです。

――こーんな後ろに(自陣ゴール前で、という意味)?

 そうです。だからみんな、「ふざけんなよ」って(笑)。

――タックル来たやつを、素直にボコンと当たりに行っちゃった? ゴール前なのに

 当たりに行ったというより、まあ、当たってきたんで、ここで耐えとくしかないと思って。当然、プレッシャーが来るわけで。

――蹴って出せよという場面にもかかわらず

 そうですね。蹴って外に出すか、ポイント作るか。ポイント出して、ターンオーバーされても大迷惑ですよね。

――でも、その時はわかんなかったんですよね

 わかんなかったですね。

――なんで怒られてるかもよくわからない?

 はい。怒られてるのはなんとなくわかりましたけど(笑)。

(以下、次号)

上井草タタミ(かみいぐさたたみ)=別名:府中四六蔵)
1966年長崎県佐世保市生まれ。長崎海星高校、早稲田大学卒。高校入学から大学卒業まで11年もかけた慎重派。学生時代からフリーライターとして週刊誌や月刊誌で活動を始める。専門は日本の政治と経済と社会と文化。
サントリー・サンゴリアスのHPで「プロップマガジン」を執筆。
「仕事が入った」と家族に偽って土曜日日曜日祝日その他にラグビーを観戦し執筆するのもそろそろ限界かな、と最近感じている本人と騙されてるふりをしている家族(主に妻)である。

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